親は子どもに万能感をもたせて育てるべきか? もたせて育てたなら……
万能感。自分には、なんでもできるという感覚。
親は、子どもにこれをもたせて育てるべきでしょうか?
私見では、幼稚園くらいまでは、可能性の幅を広く提示してあげるという意味で、万能感をもたせて育ててもいいと思います。
でも、「お勉強」がはじまる小学生くらいになったら、万能感を植えてしまわないように気をつけて育てるべきだと考えています。
かといって、いきなり、それまでもっていたものを、親が否定して捨てさせるのではありません。自然と子どもが「できること・できないこと」が、あることを知っていくのを見守っていくのがいいのではないかと。
わたしは、万能感を植えつけられたまま、育てられた子どもでした。そして、やがてわたしが自然と自分は万能などではないと知っても、親自身が、わたしが万能であるはずだという幻想を捨てきれませんでした。
結果、わたしは学校に「行けない」子どもとなり、それは、親としては、万能なはずの子どもが学校に行かないわけですから、
「どうして、こんなこともできないの!」
と激しく憤り、肉体的・精神的に、ものすごい暴力を受けました。
……苦しかったです。
「挫折を経験すること」は、とても大事なことだと考えています。
挫折を知らないひとには、わたしは、人間味を感じることができません。
話していて、人間味の感じられないひとがいて、ふと聞いてみたことがあります。
「ねぇ……、挫折って経験したことある?」
返ってきた答えは、こうでした。
「普通のひとは、どんなときに挫折感というものを感じるのですか?」
失笑してしまいました。彼は、こう言葉を続けました。
「なんか苦労話とかするひとって、自慢にしか聞こえなくて」
あぁ、この子は、本当に“知らない”子だなと思いました。
万能感を持ち続けたまま、大人になったひとの一例ですね。
また挫折は、若いうちに経験していた方がいいと思っています。
30代、40代、50代……年齢があがるごとに、はじめての挫折から受けるダメージは大きくなるばかりです。怖い。怖いことだと思います。
精神の破綻を経験することはいいんです。ただ、それから、脱することへ目を向けられない、自殺などに直結しやすい。
所謂エリート編集者とエリート著者(ちなみに、わたしと同年齢。ただの若輩者なのですが、本当は)のはじめての著書づくりのやりとりの話を聞いたことがあります。エリート街道を歩んできているのは確かなのですが、それ以上にエリート意識が、両者とも高すぎる。
まず、著者は、装丁からフォントから構成から、なにからなにまで指定しようとする。本作りの知識なんてないのに。プロからすると、笑える話ですよ、だってWindowsのシステムフォントを指定してくるんですって。編集者を「本作りのプロ」として見て、任せるべきところを任せきれないのです。
編集者は編集者で、素人さん相手なんだからこそ、編集者としての姿勢が問われるところなのに、プライドだけが高いものだから投げちゃってる。
結果、その本はまったくもって売れていません。当然ながら。
でも、「はじめての著書が売れなかった」という体験を、この著者は挫折とは感じないんだろうなと。編集者もそう。きっと、お互いがお互いのせいにしあうだけの話。
これも、万能感をもったまま、大人になった好例ですね。
このように、万能感をもったまま、大人になってしまったひとたちが、いつか自分は万能などではないと“気付く”ことができるのか、挫折を挫折として味わうことがあるのか、それとも、そのまま、一生をすごすのかわかりませんが。
わたしは、そんなひとたちに対して、人間として、どこか欠落しているという印象をぬぐいきれません。
だから、+自分も「万能感」について苦しんだ人間だからこそ、冒頭のように
私見では、幼稚園くらいまでは、可能性の幅を広く提示してあげるという意味で、万能感をもたせて育ててもいいと思います。
でも、「お勉強」がはじまる小学生くらいになったら、万能感を植えてしまわないように気をつけて育てるべきだと考えています。
かといって、いきなり、それまでもっていたものを、親が否定して捨てさせるのではありません。自然と子どもが「できること・できないこと」が、あることを知っていくのを見守っていくのがいいのではないかと。
――こう思うのです。
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コメント
いいなあ、エリート。子供はエリートにしたいですが(笑)
そういう人でも分かりやすい挫折はビンボーになることですよね。
それはともかく、僕は子供は適度に凹ませるべきだと思っています。上には上がいることが分かれば万能感は薄れるでしょう。そこから上を目指すかどうかが教育も含めたしつけだと・・
戦いごっこでマジ足払いするオレも問題あると思いますが・・
投稿: たまり | 2006年3月 7日 (火) 11:19
>たまりさん
ども、ご無沙汰してまっす。お身体の調子はいかがですか?
ホント、子どもは適度に凹ませるべきって、まったくもって同感です。生きていれば、自然に、そのときがくるのだから。
それを強引に親が、子どもが凹むことになるであろう阻害要因を先回りしてブロックしたり、あるいは、ある日突然に意図して凹ませようとするから、おかしなことが起きる……過保護・過干渉なんですよね。
> 戦いごっこでマジ足払い
パパ~ん……(笑)
ところで、来月には、たまりさんのところも、ウチも、小学校入学ですよね。
会えなくてもいいから、せめて、娘がどこの小学校に入学するのかを教えてもらって(元夫の実家から出て、元夫・再婚相手・娘の3人で、すでに引っ越しているはずなのですが、その場所を知らないんです……)、校門の外で、入学式の日を見るだけでいいから、娘の新しい生活をお祝いしたいです……。
投稿: 大川内 麻里 | 2006年3月 7日 (火) 18:11
おひさぁ♪
挫折感なんてあじわったことないっす。w
いつもガキんころから失敗ばかり(いや、今も他人からみりゃ失敗w)なんで、感じる暇もなく、成功すりゃラッキーくらいにしか思ってません♪
「人生なんとかなるさぁ」っつうオキラク人間なんです。
だから、
「あなたって誠実じゃないよねぇ(笑)」と言われちまうんだろうなぁ・・。
でもPRIDEはハッキリ言って、自分の可能性を閉ざすものくらいにしか思えません。まぁ「キサン、今にみとれや!このオタンコナス」とはいつも思ってるんですけど・・。w
投稿: kouan | 2006年3月 8日 (水) 01:26
>kouan兄ィ
おっす、おひさしっす☆
うん、わたしはkouan兄ィのような姿勢での「挫折感を味わったことはない」ってのは、すごくいいことだと思うの。誠実さとはベツモンやと思うしね。
プライドに対する考え方もわかる。プライドもいい持ち方と、kouan兄ィの指摘するような自分の可能性を自ら閉ざしてまったり、周囲にマイナス感情を与えたりっていうわるい持ち方とがあると思う。
いいプライドってのは、たとえば、仕事に対するプロ意識が見えるとかさ、周囲にとってもいい刺激になって「頑張ろう!」って気にさせられるとかさ。
投稿: 大川内 麻里 | 2006年3月 8日 (水) 05:16
あらら、そんなにほめないで(笑)
ただただ、何も考えてないアホなおっさんですから♪
よくいわれる「悩みなさそぉって言われるのが悩み」的な人間っすから。
投稿: kouan | 2006年3月 9日 (木) 00:19
初めまして、キッチンと申します。
たかこさんのところから、やってきました。
ちょうど小学2年生の下の子を育てているところです。
共感です。
子供に万能感など、いらないですよね。
「できること・できないこと」を教えるということ、わかります。
一度、TBを頂いたのに、申し訳ありませんでした。
これからもよろしくお願い致します。
投稿: キッチン | 2006年3月11日 (土) 11:43
大川内さん、こんにちは!初めてのコメントです☆
この文章の中の、「普通のひとは、どんなときに挫折感というものを感じるのですか?」「なんか苦労話とかするひとって、自慢にしか聞こえなくて」ってこと、私も思ったことがあったからギクッとしました。ワタシって万能感がある人間なのか?って考えました。
ワタシは元々あまり考え込まないし、あまり落ち込みません。だからかわからないけど、自分が挫折感を感じた記憶がありません。目標を達成させたい気持ちはあるのに前に進めない自分が嫌になったり、「自分ってこんなもんなんかもしれない」、「頑張れる時と頑張れない時がある」って割り切ったりする時はあります。でも、これを「挫折」というのかどうかわかりません。「挫折」ってもっともっと重いことのような気がして…。私のこんな経験は軽すぎて「挫折」と言うほどではないんじゃないかって思います。ワタシは、失敗しても、他の方のコメントにもあったように、「こんなモンかっ。よし、次☆」くらいで終わっちゃいます。なんか、落ち込んだり悩んだりする時間がもったいないって思うし、そうしている時の自分はマイナス思考だから嫌いです。そういうわけで、挫折感を味わった記憶があまり無いです。でも、万能感を持っているわけでも無いと思います。自分ができないことはわかっているつもりです。人には、それぞれできることとできないことがあると思います。できないことをやろうと思ったって、限界があるのだから、やれるだけのこと着実にこなすので十分だって言うのがワタシの考えです。ワタシは、両親にそれを教えられたような気がします。
投稿: みち | 2006年3月11日 (土) 16:08
私の方のブログは更新するのをや~めたと投げて、そして他の人のブログにもコメントすんのや~めたと思っていたんですが、これは書かなくてはならぬ。
万能感→挫折
って俺も同じです。鬱になって死のうか迷ってナイフをクビに当てて、それでも死ねない自分を罵って睡眠薬飲んで「さあ、楽になるぞ」「ほらほら睡眠薬でその怠けた発想を麻痺してきただろう。ほれさっさとやれって」
ドワっと汗が出てきた日を思い出します。今は全然平気なんですけど、あそこはターニングポイントですね。立ち上がって得た物は大きかった。
人間味が増すというのもわかります。自分で自分をそういう風には言えませんが、人をより理解できるようになった。言ってはいけない言葉、言ってあげなければいけない言葉などが理解できるようになりましたね。あ、でも挫折しないで健康的に生きられるなら挫折は不要です。万能感に酔って人を傷つけて生きてる人間には必要ですが。
あと、子供に対しての万能感の植付けは過度にやるといけません。親が全力で植え付けるような生々しいものは子供の心を潰してしまうと思います。しかし、だからと言って「おまえはどうしようもない。存在してる意味すらない」というのは考え物。親は子供にどこの学校にとか、左利きだからとか、そんな事よりも親が子供に送るメッセージの中で一番大事なのは
存在してるだけでもいいんだよ。そのままでいいんだよ。
という事だと思います。
まだまだ書きたいんですが、また今度。
投稿: gigababa | 2006年3月12日 (日) 21:57
私も今となれば爆笑ものですが、万能感をもってました。バカです。大学時代大きな挫折をし、鬱になり、引きこもり。でも昔より人の痛みが解るようになったと思います。それが収穫ですねえ。でも、根本に在るからこそ、今でも頑張って職探しです。
投稿: 鳥子 | 2006年3月17日 (金) 08:19
まーた入院して、お返事遅れました。みなさん、ゴメンナサイ。
あーんど、たくさんのコメント、ありがとう! みなさんのご意見、ふむふむと拝読させていただきました。
>kouan兄ィ
THE ホメ殺し(爆)
いやあ、まじで、kouan兄は、いい考え方をしていて、いい生き方してるなって感じますよ♪根底ポジティブって、すごいいいことだと思います。
>キッチンさん
あ、キッチンさんだ~! 覚えてますよ♪こちらこそ、トラックバック投げっぱなしですみません^^;
ウチの娘(元夫と再婚相手のもとにいる)も、この春、小学校にあがります。子どもの自発的な気付きや成長を見守る母でいたいですね^^
しかし、ご病気ながら育児をしていかれることって、すごく大変だと思います。頭の下がる思いです。
これから、キッチンさんのブログにもうかがわせていただきまーす! よろしくお願いいたします。
>みちちゃん
初コメントありがとー♪
うんうん、みちちゃんのような思考って、とってもいいことだと思います。それで、ご両親にそれを教えられたと感じていることが、また素晴らしいなって。
苦労話が、ただの不幸自慢になってしまっているひとも、実際います。
それに、たとえばだけれど、世代が違って、生きてきた環境も違うのに、苦労話を聞かせたところで、相手の心に響かずに、結果として、不幸自慢に終わってしまうってことも。聞く側の姿勢というのも、あるのはあるんですけれどね。
いまのニート問題だって、団塊の世代と団塊ジュニアの生きてきた環境や価値観の食い違いともいえると考えています。団塊世代とまったく同様のハングリー精神を、いまの子たちにもてといったって、ほとんど無理な話なんですよ。
わたしは、世代も生きてきた環境も違う方、年長者の方のお話などは、積極的に聞いて、自分のなかにも、自分なりのスタイルで取り入れていきたい派なんですけれどね。
そういえば、ウチの父は、かなりの苦労人なんですが、父の口から、そのことを一度も聞いたことがないんですよね。すべて、母が語ってくれました。両親は、所謂、熟年離婚をしていますが、わたしが、父のことを尊敬できるのは、母のおかげだと思っています。親を尊敬できるって、とても幸せなことだと思います。
父は再婚していますが、自分がわたしという娘に尊敬されているのは、母のおかげが大きいということ……いつか気付いてほしいな。
(ちなみにちなむと、わたしも離婚していて、元夫は再婚しています。なんだか変なところが共通してしまった^^;)
>ぎがばばさん
え??!! なに?! ブログやめるの?? わたしも、そういう心境になることあるから、なんとなーくわかるような気がするけれど。急ぎ、これから、ぎがばばさんのブログ偵察に走ります。
わたしも、10代のころに、両手のひらいっぱいの睡眠薬で自殺未遂を起こしているけれど、昏睡状態から回復したときには、なんか、ある意味、腹をくくれたというか、いったん、自分のなかのもうひとりの自分は死んだと。「這い上がってやる」って、強く思いましたね。
> 挫折しないで健康的に生きられるなら挫折は不要です。
> 万能感に酔って人を傷つけて生きてる人間には必要ですが。
同感同感。だから、先にコメントをいただいているkouanさんやみちちゃんは、そのままでいいんです。
子どもに、親が万能感をインストールしちゃうってのは、親が子どもに過度な期待を抱いていたり、過保護・過干渉で、挫折のような阻害要因となりうるものを徹底的にブロックしちゃったりっていうのが多いのではと思います。子どもが、自然と「できること・できないこと」「やっていいこと・やってはいけないこと」などを知る機会を奪ってしまっているんですね。
> 親が子供に送るメッセージの中で一番大事なのは
> 存在してるだけでもいいんだよ。そのままでいいんだよ。
> という事だと思います。
これも同感。ノンバーバルなメッセージでもいいんですよ。それで、十分伝わるから。むしろ、その方がいいかもしれない。
また、お話聞かせてちょうだいね。
>鳥子さん
はじめまして! ご来訪くださって、ありがとうございます。
鳥子さんのご体験、自分の体験を重ね合わせて読んでしまいました。
でも、貴重な体験ですよね。挫折で得たものって、自分の生き方の原点になりうるから。
わたしは、迷ったとき、悩んだときは、原点回帰です。原点さえしっかりともっていれば、自分の軸からブレないでいられる。↓ちなみに、こんなことを考えております。
http://sex-therapy.cocolog-nifty.com/about.html#dream
鳥子さんは、きっと、挫折経験を経られて、人間として強くやさしくなられたのではないでしょうか。
また、ぜひいらしてくださいね^^お待ちしております。
投稿: 大川内 麻里 | 2006年3月20日 (月) 13:32
自分の能力を固定的に考える人と成長し続けると考える人
http://d.hatena.ne.jp/himazublog/20060318/1142697735
たまたま似たテーマのblogがあったのでご紹介。
何を褒めるかが重要ですね。
投稿: hiten | 2006年3月20日 (月) 22:41
>>親が万能感をインストール
これって今時の親子を見てると恐ろしくなってしまうんです。今時って言い方は乱暴なので、最近よく見かける親子の姿、もしくはおじいちゃんおばあちゃんと孫の姿とでも言いましょうか。
毎日サンタさんに囲まれてる子供というのは危ないと思う。万能感をインストールして何が悪い!という両親におじいちゃん、おばあちゃん。
あ、あとブログやめませんよ(笑
その日だけ乗る気がしなかっただけなんです。
投稿: gigababa | 2006年3月21日 (火) 09:48
苦労話が相手に響かないのは、残念ですね。私が今まで耳にした苦労話の中には、自慢にしか聞こえなかったけど本当は私が学ぶべきものがあったかもしれない、ということに気づきました。これからは、自分にプラスにしていけるよう、聞く側として姿勢を整えたいと思います。教えてくれてありがとうございました。
ついでに苦労話について少し思うことがあるので書き込みます。私は、今まで自分だけが大変な苦労をして道を歩んできたという思いはありません。なぜなら、私の周りにはいつも家族、友達、先生などがいてくれたからです。彼らが私を助けてくれたからです。その支えがあるからこそ、私は今まで心底嫌な思いをすることもなく、幸せに歩んでこれたんだって思います。「よい結果が出たって事は、人よりは頑張って努力したかもしれない」って思う場面に遭遇することは時々あるけれど、そんなことは周りがあってこそ達成できたようなもんだ。と、自分をほめる以上に感謝の気持ちがどんどん湧き出てきます。苦労話をよくする知り合いは、私とさほど変わらない環境にいながらも、「自分はあなたと違って楽な道を歩んできてはいないの。」という様で話します。私にはわからないアクシデントが本人を襲ったかもわからないけど、私としては、本人は自分を取り巻いている環境のすばらしさに気づいていないんじゃないかって思います。周りがあってこそ自分がある、そう考えた時、自分の苦労や努力は周りの人々に支えられていたってことに気づくんじゃないでしょうか。自分がとても苦労した時、周りで支えてくれた力を無視することはできないと思います。そうすると、自分の苦労の偉大さ以上に環境への感謝の気持ちの方がふくらんでくると私は考えます。
投稿: みち | 2006年3月24日 (金) 00:46
>hitenさん
興味深い記事です。ありがとうございます!
>ぎがばばさん
まわりの大人たちが、子どもを「子ども」として扱い続ける限り、その子は、いつまでも「子ども」でなければならなくなってしまう――危険ですね。
ウチの弟もその傾向があって、彼なりに苦しいところもあっただろうな。
うん、引越し先見て、安心しました(笑)<ブログ
>みちちゃん
うん、まわりへの感謝の気持ちって、環境によって「もてる・もてない」ではなくて、その人自身のパーソナリティーによって「もてる・もてない」ものだと考えています。まわりのひとたちへ感謝や尊敬の気持ちを「もてない」ひとがいるけれど、それって、とても怖いことだなと感じます。
↓こんなことも書いていました。
http://sex-therapy.cocolog-nifty.com/editor/2005/11/post_92dd.html
投稿: 大川内 麻里 | 2006年3月27日 (月) 06:24